ハミンと僕の3年間の記憶

韓国人の彼女ハミンと、僕との間の3年間に渡る恋の物語です。 内容は全て実話です。 ハミンとの出会いから、僕の交通事故、ハミンがイギリスへと旅立ち離れ離れになった1年間、そして韓国で別れをするまでの僕の恋を描いています。

(12/17) 最後の10日間

12月1日。ハミンは当初の予定通り、旅を終えて東京に戻ってきた。
お母さんは韓国に戻り、ハミンはあと10日間東京に滞在する予定だ。
ハミンはお母さんには、友達のところに泊まると嘘をつき、僕の部屋に泊まることになっている。

東京駅に到着するのは夜。仕事を終えた僕は大急ぎで職場のある新橋の花屋へ向かい、バラを5本買って東京駅へ。
花を買うのはなんだか恥ずかしく、僕はあまり得意ではない。誕生日でもバレンタインでもない理由がないまま買うのはちょっと照れくさいけれど、久しぶりに帰ってくるハミンに僕の気持ちは伝えたいと思っていた。

しばらくして新幹線の改札から出てきたハミン。
1ヶ月以上ぶりに会うハミンは、いつも以上に綺麗に見えた。お互い抱き合い、僕は照れながらバラの花束を渡した。
渡すといっても、やっぱり照れくさいので、ごまかしながらだった。ムードのかけらもない。ハミンもそんな照れている僕をからかいながらも、喜んでくれたようだ。

そこから数日間、僕とハミンは一緒に過ごすことになる。元々お互いの部屋をよく行き来してはいたが、短い期間ながらも一緒に生活するのははじめてだ。
こうして僕らは、最後の最後に同棲することになった。ただし期間限定。
僕らに残されているのは10日間のみだった。

僕はその10日間は出張をなくし、ハミンと一緒にいられる時間を増やした。
ハミンも夜は大学時代の友達に会ったり、最後の日本での時間をだいぶ忙しく過ごしていた。ハミンは計9年間日本にいたので、その分だけ友達との別れもつらいようだ。
毎日が送別会のような状態だったが、僕との時間も大切にしてくれた。
ハミンが旅に出たときと同じだが、僕はずっと一緒にいると悲しくなってしまう気持ちもあったので、ハミンがこうして送別会に出たり、友達と会うのは正直気持ちがすっとした。
そして、夜帰ってきてから寝るまでの時間を一緒に過ごす。それくらいが、出発までカウントダウンに入った僕ら2人にとってはちょうどよかった。

僕ら2人をつないでくれた、コウヘイとコウヘイの彼女の2人もハミンのために送別会を開いてくれた。
みんな仕事終わりに合流して、あれこれ語り合った。
そして2人からはなんとプレゼントまでもらってしまった。空けてみると、色違いペアルックのセーターが。
僕ら2人はペアルックを着たことがなかったので、このタイミングではじめてのものをもらった。これで日本とイタリア、離れていても一緒だ。こうした細かい心遣いができる2人には本当に感謝している。
僕らはペアルックのセーターをきて写真をパチリ。
そして、最後には4人で撮影も。
こうして4人で会うことはしばらくお預けとなる。これから先しばらくないだろう。
あとからコウヘイの彼女が言っていたことだが、このときはやはり僕ら2人からは何か寂しさが感じられたようだ。明るく笑っているようで、ただその心の裏側は何か暗いものがあったようだ。
これで2人とはしばらくのお別れをした。

12月9日。遂にハミン出発の前日となった。あと1日になってしまった。
僕は通常通り仕事に行く予定であったが、急遽午前中の仕事を休んでハミンと一緒に過ごすことにした。
こんな天気は滅多にないくらいの晴天の日だった。この日はいつもよりも暖かいこともあって、よく2人で出かけた丸の内の皇居前広場へ行くことにした。
途中、デパ地下でお昼ごはんも買い込んで、これまでのように2人で食事。
悲しい気持ちをずっと背負い込んでいた2人は、なんだか明るい日差しのなかで開放されたようだった。
最後の最後は暗く終わりたくないという気持ちもお互いあったのか、いつものように明るい2人になった。
悲しさよりも、なんだか晴れ晴れした気持ち。
この日はちょうど皇居が開放している日のようで、2人で中に入って散歩をしたいつものように冗談を言って、笑顔の2人。
東京駅前の大通りでは2人で写真を撮るなどして、最後のデートを楽しんだ。
ここで一旦お別れし、僕はそのまま会社へと行った。
そしてその日の仕事が終わり、ハミンとの最後の時間だ。
その時の僕らには悲しさはない。
それよりも最後まで楽しもうという気持ちだけだった。

2人でよく行った品川の海まで自転車を走らせる。2人とも最後の日は、いつものように過ごしたいと思っていた。
僕らはレインボーブリッジを眺めながら抱き合い、そしてキスをした。
こうして時間がもっと続いてくれればいいのに・・・。明日が出発の日だなんてまだ信じられなかった。