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ハミンと僕の3年間の記憶

韓国人の彼女ハミンと、僕との間の3年間に渡る恋の物語です。 内容は全て実話です。 ハミンとの出会いから、僕の交通事故、ハミンがイギリスへと旅立ち離れ離れになった1年間、そして韓国で別れをするまでの僕の恋を描いています。

(7/17) 両親の来日

あるとき、ハミンの両親が日本に来ることになった。そしてハミンの部屋に数日間滞在するようだ。
僕らは大慌てで、ハミンの部屋にある僕の荷物をいろいろ隠すことにした。
なかなか韓国の両親は恋愛にキビシイ。僕がハミンの部屋に行ったなんていうことは決してバレてはならないことだ。
ハミンは日本で彼氏がいることを親に伝えてはいないようだった。
そしてハミンは実は、なかなかのお金持ちの家のお嬢さんでもある。お父さんは外資系の海運会社で働くビジネスマン。お母さんは釜山にカフェを経営している。それがなんとも洒落たカフェで、釜山では有名なお店なようだ。
ハミンは点心爛漫な女の子で、そういう雰囲気を一切出さない。ただ、決して裕福な家庭に育ったわけではない僕との違いはある。
僕は地元の小中学校、公立の高校、そして学費の安い国立の大学に進んだ。大学のときには1年間アメリカへ留学をしたが、それは大学の留学制度に申し込んでいったので、実質費用なしで行っている。
ハミンは小さいときにはフィギュアスケートをやっており、韓国では私立の高校に通い、父親の仕事の関係で高校卒業時に日本に来てからは日本の私立の美術系の学校に通った。
そんな家庭で育って、大切な女の子だからこそ親の愛情も深いはずだ。

韓国の親は一般的に子供の恋愛には厳しく、結婚する前でないとあまり会わないことも聞いていたから、僕からは両親に会いたいとは言わなかった。だから、両親が来ている間はハミンとは会えないのだ。
ハミンの両親が日本に来てから数日目のときのこと、ハミンから急に連絡があった。
軽い内容で「今日の予定空いてるー? みんなでご飯食べない?」とのこと。
みんな・・・? もしかしてお父さんお母さんと。
いいのかな、なんて思いながら連絡を返すと、1時間後には渋谷のヒカリエで待ち合わせをすることとなった。
3人が来るまでの1時間、僕は必死だ。渋谷に向かう電車のなかで、ネット上にある韓国のマナーには目を通し、決して失礼がないようにしたかった。
ハミンのお母さんは韓国語しか話さないようなので、急いで韓国語の習得。最低限の挨拶は丸暗記した。
待ち合わせ場所にはだいぶ余裕をもって到着した。みんなを待っているとなんだかソワソワしてくる。
そして時間になると、ハミンとその両親の3人がやってきた。
なんだかハミンもいつもと様子が違うようだ。僕にいたずらをするような女の子ではなく、お嬢様という感じ。
僕は覚えたばかりの韓国語で両親に挨拶。
「アンニョンハセヨ。チョウム ベッケスムニダ。ナヌン ショウタ イムニダ。マンナソ パンガプスムニダ。」(こんにちは。はじめまして。私は翔太と申します。お会い出来て嬉しいです。)
これが僕が精一杯覚えた韓国語だ。
お父さん、お母さんも少し僕を警戒しているようではあるが、笑顔で挨拶してくれた。ホッ・・。
ハミンはというと、僕の拙い韓国語に大笑いしている。
お互い少しずつ慣れてくると、お父さんはニコニコ。ハミンはお父さんに似ているようだ。
その後、みんなで渋谷ヒカリエのお寿司屋さんへ。
英語が話せるお父さんとはコミュニケーションもとれる状態だ。お母さんとはハミンが韓国語へ通訳をしてくれる。
普通に会話をしているのだが、なんとなくこの4人の中にぎこちなさがある。
途中、ハミンのお父さんからはいろいろ質問が。
そのなかで僕は不覚にも、ハミンが僕の両親に会っていることを話してしまった。お父さんは表情が変わり、少し動揺しているようだった。必死でフォローして、たまたま車で近くを通ったことがあったから、実家に寄った程度だと話をしたが、これは触れてはいけないトピックだったようだ。
食事が終わると、みんながトイレに行きたがっていた。そう、実はみんな緊張していたのだ。
その後は代官山のカフェへと行き、少し話を続けた後、3人とお別れ。
僕もやっと一息つけた。きっと相手の3人も、お別れをしてから同じく安心した気持ちだったことだろう。

後日ハミンに聞いてみると、やはり両親ともにすごく緊張していたとのことだった。韓国の慣習では、お互い結婚を決める前に会うことは少ないようだが、僕はハミンが2人に会わせてくれたことに感謝だった。