ハミンと僕の3年間の記憶

韓国人の彼女ハミンと、僕との間の3年間に渡る恋の物語です。 内容は全て実話です。 ハミンとの出会いから、僕の交通事故、ハミンがイギリスへと旅立ち離れ離れになった1年間、そして韓国で別れをするまでの僕の恋を描いています。

(4/17) 悩み

実は、僕も僕でこの頃はいろんなことが起こった時期でもあった。
僕がコウヘイと一緒に住んでいたのにも理由があって、仕事の合間に2人で小さい事業を始めていたのだ。
ちょうどオリンピックの候補地が東京に決まったタイミングであり、僕らは海外に向けて何かできないかと考え、海外からの旅行者を対象に都内の旅館を紹介する予約サイトをつくっていた。
営業まわりは僕が、サイトの開発はコウヘイが分担して行っていた。
そうして運営をしてみると他にあまりやっているところもないようで、どんどんと海外のお客さんからの利用が増えてきた。
これまで海外のお客さんの受け入れをあまりしてこなかった旅館のおばちゃんらが、僕らのサイトを信頼してくれたことで、お客さんがどんどん増えてくる。海外のお客さんが増えてくると、いろんな問題も同時にどんどん増えてくる。旅館のおばちゃんたちには問題があったら僕に連絡をしてくださいと伝えているので、英語の話せない彼女らからは、ひっきりなしに電話がかかってくる。それは普段、会社で仕事をしているときにもどんどんかかってくる。
もう毎日が必死だった。トラブルがあれば会社の仕事を早めに切り上げて、そのまま旅館に駆けつけてお客さんの対応。
その後の宿泊予定の海外のお客さんからの質問に立て続けにメールで回答して、その後はハミンに会う。毎日がそんな感じ。
年末も夜10時まで旅館のおばちゃんらと電話をし、元日もおばちゃんからの電話で起きる。もう毎日が嵐のような日であり、大変だが楽しい。
僕とコウヘイは事業の楽しさにどんどんハマっていった。

ただ、そうしているうちに僕は事業の将来についてもいろいろと考えるようにもなっていた。このままの状態では会社で働きつつ、今の事業をやっていくのはなかなか難しくなる。
同時に自分たちの事業一本にするには、まだまだ不安なところもあるのも事実。
僕らは試しにこうした事業をやってみたが、時代のニーズにもマッチし、小さい規模ではあるが、うまく回せるようになってきた。
ただ、僕とコウヘイがやりたいのはもっと大きな事業でもあった。
いろいろと考えた結果、僕とコウヘイは今の2人の事業を一旦終わりにすることにした。
そして、将来的には2人でもう一度大きな事業をめざせるように、お互い今働いている会社を辞めて、旅行の業界の会社にそれぞれ入ることにした。そこで業界についても学んで、また2人で集まって事業をしようというふうに考えた。
ということで、2人ともサイトを閉じることにし、転職をすることにした。そう決めたのが1月3日のことだった。
そうと決まったら行動はすぐに、僕は気になった会社1社に連絡をし、1月7日にはその会社と面談。
自分がやっていた事業を話して盛り上がると、なんとその場で内定をいただく。
いろいろ考えた結果、その会社でお世話になることに決めた。

そこからなかなか大変で、勤めていた会社の社長には自分自身お世話になった気持ちが強く、なかなか切り出せない。
勇気を振り絞って切り出し、退職届を出すも、なかなか受け取ってくれない。60歳を超える社長は僕にとって、師匠であり、親父のような存在であり、恩人である。僕だって、お世話になった方に退職の話をするのは、なかなか勇気がいる。
次の日も勇気を振り絞って退職の話をした。
そうするとなんと驚くことに、会社から子会社を作るのでそこの社長をやっても大丈夫だという話までもらった。
僕は当時26歳。正直近い将来には自分で事業をつくりたいと思っている。ものすごく良い話をもらったこともあり、人生で最も大きな決断でもあり、悩む。

あまりハミンには伝えないようにしていたが、僕が悩んでいるのが伝わったのかもしれない。ハミンは僕に何か悩んでいることがあるか聞いてきてくれた。
僕も彼女に隠し事をするつもりなんて一切ない。全てを打ち明け、コウヘイとやっている事業を畳む予定であること、数年先にもう一度コウヘイと一緒に事業をつくりたいと思っていること、次に働く予定の会社のこと、今の会社でこの先経験できないかもしれない機会をもらったこと。
ハミンは僕の悩み全てを聞いてくれた。その上でただ一言「自分が1番良いと思う判断をしてみてね。きっともう自分の中に答えはあるはずだから。」
シンプルなその言葉は僕の迷いを消し、僕は次の会社にお世話になることにした。
自分の心の中では前に進んでいる。その気持ちを大切にしようと思った。そう、素直になれば自分のなかでもう全て決まっているのだ。
ということで、僕のこれからが決まった。