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ハミンと僕の3年間の記憶

韓国人の彼女ハミンと、僕との間の3年間に渡る恋の物語です。 内容は全て実話です。 ハミンとの出会いから、僕の交通事故、ハミンがイギリスへと旅立ち離れ離れになった1年間、そして韓国で別れをするまでの僕の恋を描いています。

(11/17) 楽しさと悲しさ

そうした日々を過ごしていると、7月にはハミンの韓国での高校時代の友達が日本に来ることに。
僕もハミンに誘われ、3人で花火大会へ行くことになった。待ち合わせは花火会場の一角。2人は先に場所を確保してあるということで、僕は食材を買い込み2人のいるところに向かった。
人混みの中でもハミンをすぐに見つけることができた。ハミンの友達も一緒にいた。ハミンの友達も綺麗な人だった。そして、浴衣を着たハミンの姿もいつもよりまた一層綺麗だった。
ハミンに通訳をしてもらって、友達にも挨拶をして、一緒に花火を楽しんだ。
ハミンを高校のときから知る友達。聞けばその子の彼氏は、今は軍隊で兵役中だそう。付き合いはじめてすぐに兵役となって、頻繁に会うことができずにいるようで、よく手紙を書いて送っているらしい。
その子にとってみれば、こうして一緒にいられる僕とハミンは羨ましいとのことだ。こうして自然体で2人が付き合えるのが羨ましいと。
そう言ってもらえるのは僕も嬉しかった。
だけど、僕の本当の気持ちは違った。
今は一緒にいられるけれど、もう少し先には離れ離れになってしまう運命だから。寂しさが心を支配しているときだって多い。
ともあれ、はじめてハミンの韓国のときの友達にも会えて、僕はまた普段と違うハミンを見ることができた。

翌月の8月には、今度は僕がハミンに友達を紹介する番だ。
僕の高校時代の友達とその彼女とハミンと4人で、かねてから計画していたキャンプの旅へ。
全然心配はしていなかったけれど、やはりハミンは僕の友達ともすぐに仲良くなった。
僕らが向かうのは富士山近くの河口湖
小さいときから毎年家族とキャンプをしていた僕と違って、ハミンははじめてのキャンプ体験らしい。自然のなかで過ごす2日間に楽しみにしている様子が伝わってくる。
2人で一緒にテントを張り、料理をして、自然の時間を満喫した。大量の蚊に悩まされながらも、自然のなかで眠る、それこそがキャンプだ。
真っ暗闇のなかで、テントで一緒に眠る。ハミンはこうしたはじめての経験に少し緊張しているようだ。そんなハミンが愛しく思える。

そうしてキャンプを終え、東京に戻ると僕らはまたいつもの日常に戻っていった。ただ、そうしたなかでも、なるべく一緒にいられる時間を作ろうとお互いしていた。

9月、ハミンは職場の最終出社を終えた。
頑張って働いた2年半。
明るいキャラクターで職場のみんなからも愛されていたようで、ハミンのために、朝まで飲み会を開いてくれたらしい。
ということで、その日にお祝いができなかった僕がいるわけだ。
ま、いいだろう。僕は次の日にでもお祝いができるから。
品川駅で待ち合わせをして、ふたりで向かったのは羽田空港
これから世界へ羽ばたいていくハミンと一緒に飛行機を眺めて、食事をしてお祝いをした。
やはり、こうして後戻りできないところまできてしまっているようだ。
僕の中でも今はもう悲しむことをやめ、残された時間を思い切り楽しもうと言い聞かせていた。

10月に入ると、韓国からハミンのお母さんが日本にやってきた。
1ヶ月半くらいをかけて、2人で日本のあちこちを旅するそうだ。行くのは北海道から広島まで。
ハミンのお母さんは昔は美術の先生の仕事をしていて、今は釜山でも人気のカフェのオーナーだ。2人はこの1ヶ月半の間、日本全国のアートに触れる旅をすることになっている。

この1ヶ月半が寂しいかというと、実のところ僕はそうではなかった。
正直なところ、僕にとってハミンが旅に出ているこの1ヶ月半は心が休まるときだった。
一緒にいると楽しいのだが、それ以上に12月にはこの楽しさに終わりがきてしまうことを思うと、僕は苦しさを感じてしまっていた。ハミンには見せないようにしていたつもりではあったが、徐々に出発の日が近づくにつれて、その苦しさが大きくなってきた。
だからこそ、日本にはいるけれど会えない時間、お互いがそこまで意識をしなくても良い時間というのは、僕にとってその苦しさから開放されるという風にとらえていた部分もあった。

旅の途中では僕の誕生日があり、ハミンはその日には1度東京に戻ってきてくれた。久しぶりに会えたこと、旅を中断して戻ってきてくれたことがありがたかった。
僕ら2人が好きな東京駅が、ハミンが予約してくれた丸ビルのレストランからは、綺麗に見えた。
こうして東京駅を食事をしながら眺めるのは、付き合って数日で迎えたクリスマス以来だった。
食事の最後には、ハミンからは誕生日プレゼントをもらった。ハミンは何を渡そうかいろいろ悩んだということだった。そして渡してくれたのは僕らの2人の記憶が詰まった写真アルバムだった。
ハミンは旅の途中に、僕らが付き合った最初の日からの写真を切り貼りし、思い出のアルバムを作ってくれていた。
これは反則だ。僕は涙が止まらなかった。
ページをめくる度にハミンとの一緒の時間を思い出し、涙が溢れてきた。
嬉しい。けれど、これからハミンと会えなくなることを思うと切なかった。
2人で思いきり泣いた。
ハミンに祝ってもらう最後の誕生日。なんだか不思議な時間だった。

その数日後には、今度は2人で思い出の場所へ。
ハミンと付き合う前に、僕が誘ってはじめて2人きりでご飯をしたレストラン。そのときと同じ席に座り、一緒の時間を過ごす。
だんだんと僕ら2人の時間が終わりに近づいていることを実感させられる。楽しいような、同時に悲しい時間であった。

そしてまたハミンは旅に出かけた。
雪の北海道から、旅の主目的である瀬戸内海のアートな島々など。
旅の途中にも、ハミンは手紙を送ってくれたりした。

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どうもぉ〜
今わたしは豊島の豊島美術館にいます。
お元気ですかぁ〜〜
ここはすごく豊かな島です! また、この美術館ですごく感動してます。
自然と建築で素敵な空間になって良い刺激を受けてます。
これからも、もっともっと色々見ながら、自分の作品でも人々に良い刺激を与えるようにやっていきたいと思います。
是非翔太も来て欲しいです。
             豊島美術館にいるハミンより

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(10/17) 2度目の留学宣言

僕らは変わらず楽しく、丸の内で公園デートしたり、自然体のまま楽しんだ。平和な日々が続いた。
ただ、平和な日々と考えていたのは僕だけだったようだ。ハミンは決して僕にわからないように、ずっと考えていたことがあったようだ。
そして、それが明かされる日がきた。僕にとっては2度目の大きな衝撃となる。そこから僕とハミンは落ち着かない日々を過ごすことになる。
ある日一緒にいるときにハミンは、言いづらそうに話をし始めた。
海外に行きたいという気持ちは消えず、今度はデザインの中心であるイタリアのミラノへ留学したいという気持ちを話してくれた。
家族とはすでにそうしたことは話をしてあるそうで、家族も応援してくれているとのこと。
この話を聞いたとき、今度は僕は反対することができなかった。
前回の半年前にアメリカに行くという話があったときには、僕は猛烈に反対をした。そのときにハミンに言われた、「なんで私の気持ちをわかってくれないの」という言葉がずっと頭の中に残っていたのだ。

だから僕は、行かないでほしい、ということは決して言えなかった。詳しく聞くこともなく、「わかった。ハミンが決めたことだから。おれは応援するよ。」そうしたことだけを伝えた。
この応援したいという僕の気持ちも本気だ。ハミンには将来後悔するような選択をしてほしくはない。その才能を活かしてほしいと思っている。
ただ同時に、今回は3年間という長い期間となるようだ。
本当は行ってほしくはない。やっといろんなことが落ち着いてきた中で、これだけお互いが好きだと思える関係だからこそ、ずっと一緒にいたい。
ハミンは覚悟を決めたようであったが、何か寂しげな雰囲気でもあった。

それからしばらくの間、僕は気持ちが沈んでいた。常に何か暗い気持ちであった。
嘘であってほしい。今回も気持ちを切り替えて、前回と同じようにやっぱり行かないと言ってほしい。正直、そんな気持ちだった。
ただハミンの前ではなるべくそうしたことが伝わらないようにした。ハミンが落ちこむのを見たくないし、僕自身も彼女の最大の理解者でありたいと思った。
結局僕はかっこいい彼氏でいたいという見栄があったし、彼女を嫌な気持ちにさせることに恐れていただけなのだ。
しばらくの間、何か全てが上の空だった。
頼む、行かないと言ってくれ。そういう気持ちだけだった。

そうしている間に物事は進み、ハミンは9月には仕事を辞めて、12月には一度韓国に戻り、そこからイタリアに行くということになった。
次の環境に向けて準備が着々と始まっていた。
僕は次第に受け入れざるを得なくなっていた。
ハミンが本当に行ってしまうということを。
長い間、会えなくなってしまうということを。
これまで当たり前に一緒にいたことが、これからはそうでなくなってしまうことを。
考えれば考えるほど苦しくなってくる。
ハミン、気持ちを変えてほしい。ただ、そういうことは今回に関しては起きそうになかった。
楽しい日々ではありながらも、心のなかで何かがずっと引っかかっていた。
ハミンと楽しい時間を過ごしても、すぐに寂しさがくる、そんなことが多かった。
それは僕だけではないのかもしれない。決断をしたハミンの方も、元々の明るい性格は変わっていないものの、そのすぐ裏には寂しさが同居しているようだった。

(9/17) 平穏な日々

そうこうしている間に12月に入り、僕らは付き合って1周年となった。
実は、僕らはこれまでお互い長く付き合う経験をしたことがなかった。
僕はちょうど1年くらいが1番長くて、ハミンは1年間付き合うという経験自体がなかった。
だからこそ、お互い長く付き合えるか不安な気持ちがあった。
お互い最初からぴったり合う仲であったからこそ特に、最初盛り上がってすぐに落ち着いてしまうのかと思っていた。
が、全然そんなことはなかった。
僕らは1年付き合い、さらにお互いの愛情を深めている。僕にとってもハミンにとっても、新鮮な気持ちだ。そして1年をこえて付き合えることにお互いほっとした部分もあった。
ただ、そんな1年の記念の日は2人とも会うことはできなかった。
というのも、ハミンは会社の毎年恒例の旅行でグアムに行っていた。僕らはグアムと日本でメッセージをやりとりしてお祝いした。
帰国してからは、2人で落ち着いてクリスマスを過ごすことにした。
お台場のホテルのレストランでクリスマスを祝った。
ハミンは家にクリスマスケーキ、の代わりにクリスマス用のアイスを買ってくれてあった。
ハミンが言うには買いすぎちゃったとのこと。そんなことはあれ僕は嬉しい。
ハミンの家で、クリスマスバージョン2のスタートだ。冷凍庫を開けると、ものすごい量のアイス・・・。
確かに食べきれない量だ。ぼくらはもうやけになって食べる。が一向に減らない。
アイスの上にろうそくを並べてケーキっぽく演出してみたり。
クリスマスらしさはどんどんなくなっていくのは気にせず、2人は夜遅くまで語り尽くした。

その数日後。年末にはコウヘイとその彼女を揃って4人で旅行へ。
場所は行きやすいように近場。成田近くの自然に囲まれたコテージを貸切。
僕らは千葉駅で待ち合わせをし、僕が車で迎えに行く。何も決めていない僕らはまずは成田へ向かって車を走らせる。
途中でランチを済ませると、成田空港近くのさくらの山公園へ。
昔、成田空港で働く友人に教えてもらった、飛行機がすぐ近くで見られるベストスポットだ。
離陸する瞬間の飛行機をすぐ近くで眺めながら、僕ら4人の青春だ。
ハミンは韓国の家族へテレビ電話をし始め、お母さんと話している様子。途中から僕も出て、お母さんも僕のことを覚えてくれているようだ。
分かるのは僕の名前だけ。僕もわかるのは、お母さんを意味する「オモニ」だけ。お互い言葉が通じない僕らは会話はできないが、ニコニコしてるだけ。それでも伝わるものだ。

その後僕らは宿泊予定のコテージへ。
周囲が自然に囲まれて、静かで良い場所だ。リラックスし、お風呂に入ったあとみんなで食材の買い出しへ。
せっかくなので地元の食材を買い込んで、みんなで料理を作った。食事を楽しんで、その後はのんびり。この暗闇のなかでは、夜の星空もすごくきれいだ。
1年前に僕ら4人ははじめて出会った。こうして今はお互い彼氏、彼女の関係だ。まさか1年前にこうした状況で、当たり前のように4人で旅行に来ているようになっているとは思ってもいなかった。

その後、年も明けていつも通りの日常に戻って過ごしていると、ある日僕は土曜日に仕事が入った。場所は茨城の水戸。
せっかくなのでハミンも一緒に来るか聞いてみると、行きたいとのこと。
東京から車を走らせ、茨城へ。途中お寿司を食べたり、仕事が始まるまで観光したり。仕事の合間に2人で遊ぶのも、これもまた新鮮な体験だ。
今回僕は仕事の打ち合わせを1件だけにし、それも10分くらいの打ち合わせで本当にすぐに終わるものだった。
ということで、ハミンに聞いてみると、打ち合わせが終わるまで車のなかで待ってるとのことだった。
僕は打ち合わせをすぐ終わらせ戻ってくる予定であった。が、相手の方との話も盛り上がり、結局2時間も打ち合わせをしてしまったのだ。
この1月の寒い日に、ハミンを車で2時間も待たせてしまった。寒がるハミン。僕はずっと謝り続けた。もう、猛烈に怒られると思っていた僕だが、ハミンは許してくれた。ああ、本当にごめんなさい。

3月にはハミンの誕生日。
僕はこの日も出張だった。軽井沢での打ち合わせを終えると、東京にお急ぎで戻る。大切な誕生日。この日は絶対に遅れることのないように、予定を早めにしていたのだが、それでもギリギリになってしまった。
軽井沢駅でなんとか新幹線に間に合い、東京駅での乗換でも猛ダッシュ。息を切らしながらダラダラ汗を流しながらなんとか待ち合わせ場所に間に合った。
ふぅ、良かった。
場所は品川の海に浮かぶ船でのディナー。付き合ってからいろんな場所に行ってきた僕ら。
そんな僕らもここには来たことがなかった。ワクワクし、お祝いできたことが嬉しかった。
ハミンもこれで26歳だ。出会ったときは24歳だったので、少しずつまた大人の女性になってきたのかもしれない。

(8/17) 突然の留学宣言

そのあとは2人とも楽しい日々を過ごしていた。が、それは長く続かなかった。
ある日、一緒に食事をしているときに、ハミンが急に真剣な顔になって切り出した。
ハミンは、アメリカへの留学を考えているということだった。それも半年ほど先に。
僕は一瞬頭の中が真っ白になった。
ハミンのなかでの意思は固く、行くことは家族とも既に相談してあり決めた、と。
ロサンゼルスに住んでいる親戚の家に住みながら、現地のアート系の学校に通いたいらしい。
僕は話を一通り聞いた後、その場でハミンに反対した。
ハミンには離れてほしくなかったし、これからも一緒にいたかった。そしてそれ以上に、なぜアメリカに行くのか、アメリカに行った後にどうなりたいのかということが話を聞いても見えなかった。
彼女なりの理由があるのだとは思うが、話を聞く僕には、それがハミンにとって留学がベストの選択肢であるようには思うことができなかった。
ハミンは僕が反対をしたことに対して、泣きながら言った。
「なんで私のことを理解してくれないの・・・。」
これが付き合ってから2回目にハミンが怒ったときだ。ハミンが怒るというのは、この先は1度もなかった。

僕も苦しい。彼女には自由に自分が好きなことをやってほしい。
だけれど、今回の件は話を聞いても、なぜアメリカに行く必要があるのかまだぼんやりしているように感じられた。そして何より、1年間の予定でアメリカに行くと言っていたが、1年間であれ僕はハミンにはそばを離れてほしくなかった。僕のわがままも含まれている。
日曜日の品川のカフェ。そこには僕らしかいなかった。
2人で大泣きしながら話をしていた。

その日の夜。僕は一切眠ることができなかった。
ハミンと離れ離れになることを思うと、悲しくてしょうがなかった。自然と涙が溢れてきた。
こんなに僕は女々しいのか。
男として、相手の夢を叶えるために力になりたいという思いがあったが、ただ現実的に離れてほしくない気持ちの方が強かった。

次の日、僕は出張だった。次にハミンに会えるのは早くても次の週末の土曜日だ。
睡眠時間の少ないなか、新幹線、そして電車に乗り寂しい1人の時間を過ごした。なんだか記憶がないくらい、頭が空っぽになっていた。
東京からも離れ、1人で寂しい時間を過ごし、仕事で頭をいっぱいにした。それしかなかった。でなければ、ハミンが半年後には離れていってしまう寂しさがつのる。
出張から帰り、ハミンに会うと、留学はやめたとのことだった。
僕は嬉しかった。大好きなハミンが残ってくれるからだ。
正直、まだこの時点で結婚ということは考えられる程ではなかったけれど、離れ離れにならないことが、僕らにとってはベストだと思えた。
ハミンもよく考えてみたところ、今のタイミングでアメリカに行くのはベストな判断ではないとのことだった。結局、どこまで僕のことを考えたのかはわからないままだけど。

なにはともあれ、ハミンとはまだまだ一緒にいられることになった。
同時に、ハミンとはこれまで将来の夢とか仕事のことはお互い極力話さないようにしていたが、ハミンが心の内側にもっている情熱と夢を知って僕は驚きだった。
日本を離れると言ったことは僕にとって衝撃であり、しばらくはすっきりしない気持ちを残すことになった。

(7/17) 両親の来日

あるとき、ハミンの両親が日本に来ることになった。そしてハミンの部屋に数日間滞在するようだ。
僕らは大慌てで、ハミンの部屋にある僕の荷物をいろいろ隠すことにした。
なかなか韓国の両親は恋愛にキビシイ。僕がハミンの部屋に行ったなんていうことは決してバレてはならないことだ。
ハミンは日本で彼氏がいることを親に伝えてはいないようだった。
そしてハミンは実は、なかなかのお金持ちの家のお嬢さんでもある。お父さんは外資系の海運会社で働くビジネスマン。お母さんは釜山にカフェを経営している。それがなんとも洒落たカフェで、釜山では有名なお店なようだ。
ハミンは点心爛漫な女の子で、そういう雰囲気を一切出さない。ただ、決して裕福な家庭に育ったわけではない僕との違いはある。
僕は地元の小中学校、公立の高校、そして学費の安い国立の大学に進んだ。大学のときには1年間アメリカへ留学をしたが、それは大学の留学制度に申し込んでいったので、実質費用なしで行っている。
ハミンは小さいときにはフィギュアスケートをやっており、韓国では私立の高校に通い、父親の仕事の関係で高校卒業時に日本に来てからは日本の私立の美術系の学校に通った。
そんな家庭で育って、大切な女の子だからこそ親の愛情も深いはずだ。

韓国の親は一般的に子供の恋愛には厳しく、結婚する前でないとあまり会わないことも聞いていたから、僕からは両親に会いたいとは言わなかった。だから、両親が来ている間はハミンとは会えないのだ。
ハミンの両親が日本に来てから数日目のときのこと、ハミンから急に連絡があった。
軽い内容で「今日の予定空いてるー? みんなでご飯食べない?」とのこと。
みんな・・・? もしかしてお父さんお母さんと。
いいのかな、なんて思いながら連絡を返すと、1時間後には渋谷のヒカリエで待ち合わせをすることとなった。
3人が来るまでの1時間、僕は必死だ。渋谷に向かう電車のなかで、ネット上にある韓国のマナーには目を通し、決して失礼がないようにしたかった。
ハミンのお母さんは韓国語しか話さないようなので、急いで韓国語の習得。最低限の挨拶は丸暗記した。
待ち合わせ場所にはだいぶ余裕をもって到着した。みんなを待っているとなんだかソワソワしてくる。
そして時間になると、ハミンとその両親の3人がやってきた。
なんだかハミンもいつもと様子が違うようだ。僕にいたずらをするような女の子ではなく、お嬢様という感じ。
僕は覚えたばかりの韓国語で両親に挨拶。
「アンニョンハセヨ。チョウム ベッケスムニダ。ナヌン ショウタ イムニダ。マンナソ パンガプスムニダ。」(こんにちは。はじめまして。私は翔太と申します。お会い出来て嬉しいです。)
これが僕が精一杯覚えた韓国語だ。
お父さん、お母さんも少し僕を警戒しているようではあるが、笑顔で挨拶してくれた。ホッ・・。
ハミンはというと、僕の拙い韓国語に大笑いしている。
お互い少しずつ慣れてくると、お父さんはニコニコ。ハミンはお父さんに似ているようだ。
その後、みんなで渋谷ヒカリエのお寿司屋さんへ。
英語が話せるお父さんとはコミュニケーションもとれる状態だ。お母さんとはハミンが韓国語へ通訳をしてくれる。
普通に会話をしているのだが、なんとなくこの4人の中にぎこちなさがある。
途中、ハミンのお父さんからはいろいろ質問が。
そのなかで僕は不覚にも、ハミンが僕の両親に会っていることを話してしまった。お父さんは表情が変わり、少し動揺しているようだった。必死でフォローして、たまたま車で近くを通ったことがあったから、実家に寄った程度だと話をしたが、これは触れてはいけないトピックだったようだ。
食事が終わると、みんながトイレに行きたがっていた。そう、実はみんな緊張していたのだ。
その後は代官山のカフェへと行き、少し話を続けた後、3人とお別れ。
僕もやっと一息つけた。きっと相手の3人も、お別れをしてから同じく安心した気持ちだったことだろう。

後日ハミンに聞いてみると、やはり両親ともにすごく緊張していたとのことだった。韓国の慣習では、お互い結婚を決める前に会うことは少ないようだが、僕はハミンが2人に会わせてくれたことに感謝だった。

(6/17) 事故

そんなリフレッシュをしつつ、僕は3月から次の職場で働き始めた。会社は若い人も多く勢いもあって、猛烈に忙しい日々だった。
僕も忙しいのを楽しんでいるところもあって、充実した日々を送っていた。
が、だんだんと仕事とプライベートのバランスが崩れてきているのも感じるようになってきた。
ハミンと遊んでいるときであっても、頭の中はどうしても仕事のことばかりになってしまう。
新しい環境だから最初はそれでもいいかと思っていたが、僕にだんだんと心に余裕がなくなってきた。
週末も仕事ばかり、ハミンと一緒にいても仕事のことを気にしてしまったり。
そうした状態でゴールデンウィークに突入。僕は仕事を優先させて、連休中にも仕事の予定をどんどん入れていた。
初日だけはハミンと筑波山へハイキングをしにいく約束をしていた。久しぶりの丸一日遊ぶ日だ。この日は仕事のことは一切忘れようと決めていた。
だけど、次々に流れてくるメールや電話に返事をし、ハミンとの時間の合間でも仕事をしてしまっていた僕がいた。
休みを休みとして楽しめていないのだった。
ハミンも心配をしてくれたようで、そして徐々に不機嫌になってくる。そこで僕ははっとして、やっと仕事を中断させた。
そこから先は仕事をすることなく、ふたりで登山をして、自然のなかで過ごす時間を楽しんだ。ハミンと一緒に山頂から見渡す景色はまた一段とよかった。
ただ、思えば、あのときにハミンは何か僕の危険な状態を察知して、シグナルを出していてくれたのかもしれない。

次の日僕は仕事の予定を入れていた。
連休中に自分で入れた仕事ということもあり、実家の母親の車を借りて出かけた。
前日の登山、そしてこれまでの仕事の疲れもありながらも、朝早くに出発し車で2時間の移動。やっと午前中の予定2件を終えた。
次の打ち合わせ先までは車で30分程度の移動だ。
時間も迫っていることもあり、そのまま次の営業先へ。
するとたまっていた疲れもピークにきたのか、僕の判断も鈍くなってきた。休憩している時間的な余裕はなく、そのまま走り続けた。

そこから事件は起きる。
僕は判断を誤り、道をはずれてしまったのだ。
すると、反対車線から直進してくる車にほぼ正面からぶつかった。そして僕はその後ろのダンプカーにぶつかり車は大破。
僕は正面衝突の事故を起こしてしまったのだ。

その瞬間目の前全てが真っ黒になった。僕の人生の全てが終わったような、そうした気持ちであった。
相手が無事であってほしい。僕がぶつかった相手の車に駆け寄ると、相手に大きな怪我はないようだった。
そのまま救急車がきて病院へと運ばれていった。その後すぐに警察がきて、状況を説明。もう僕は気が動転していた。実家の父親に電話をし、状況を説明。泣き崩れる僕。
すべてが終わった。もうそんな気持ちだった。
2時間近くかかり、父親が到着。
動転していた僕ではあったが、父親の姿をみて安心しまた涙が流れる。
その後は父親と一緒に、相手の方が入院しているという病院へ行った。検査入院ということで無事であるようだった。お詫びをし続け、相手の方々も「わたしらは大丈夫だから、若いお兄ちゃんは将来長いからがんばってな。」という言葉をもらい、また涙が溢れる。
父親の車に乗り、泣きながら実家へ一緒に帰る僕。
その日の夜はまだ真っ暗闇のなかだった。
夜には、僕の真っ暗な部屋からハミンに電話をしてみる。
普通ではない状況をすぐに察知したハミンは、泣きながら僕を励ましてくれた。
ハミンは僕にすぐに会いたいとのことを言ってくれ、僕はあのとき、あの声に救われた気持ちになった。

翌日僕はハミンに会うことになった。
僕はハミンをこれ以上心配させないように努めて明るくありたかった。けれど、僕自身やはり無理している様子はすぐにハミンにも伝わってしまったようだった。僕を本気で心配してくれ、僕もその温かさに心が晴れるようだった。
ただ、僕だけでなくハミンも調子が悪そうだった。聞けば、一緒に山登りをしたときから腰を痛めてしまったとのことだった。
後日、ハミンの友達から聞くと、事故を起こしてしまった後の電話にハミンはびっくりし、その勢いで腰を痛めてしまったようだった。
そんなことを知らない僕は、ハミンが腰を痛めている本当の原因をわからずにいた。

ハミンの前では明るくあろうと思っていた僕ではあったが、ただ実際暗い気持ちを引きずっていた。そんな僕をハミンは元気づけるように、いろいろ誘ってくれた。
一緒にいる時間を増やし、いろんなイベントに出かけたりした。
そうして頑張って元気を分けてくれるハミンに、僕は感謝の気持ちでいっぱいだった。
そして、そのときに誓った。僕はこれから先、ハミンが悲しむことは絶対にしないことを。僕はいつもニコニコしているハミンを悲しい顔にはさせたくなかった。

事故の処理をしたり、相手の方々へお見舞いへ行くこともあり、まだまだ事故のことを引きずった僕は、すぐに気持ちが戻ることはなかったけれど、ただ徐々に普段のペースを取り戻してきた。
変わらず仕事も出張続きで忙しい日々を送っていた。ただ、また今までのように落ち着き、少しずつ充実した日々になってきた。
平日はほぼ毎日出張で、東京にいることは週末ばかりだったが、1週間に1回はハミンは僕の予定にも合わせて会ってくれた。
ハミンと一緒にご飯に行ったり、公園に散歩に出かけたり、映画を観に行ったり、とにかく楽しい日々を過ごした。
ハミンも大学の友達を紹介してくれ、よく一緒に遊んだりもした。一緒にバーベキューをしたり、ハミンの友達は僕の友達にもなっていった。

そして、ハミンの通っていた学校の学園祭にも参加したりした。美術系の大学だけあって、学生のこだわりもすごい。僕が通っていた大学なんて1/100くらいだ。
ハミンが教わっていた先生や、当時の同級生、後輩の学生さん達にも会い、ご挨拶。ハミンも僕も自然体だ。
友達からも「ハミン、彼氏と仲いいね〜!」なんて言われてちょっと照れてる様子。ベタベタしすぎるわけでもなく、お互いを出来る限り尊敬して楽しんでいる、まさに理想的な関係だ。
僕の方も、会社で月1回やっているパーティーにハミンを呼ぶこともあった。そのときは僕も成績で表彰をされたときで、彼女に少しはかっこいいところを見せることもできたのかもしれない。ただ、そういうことにあまり興味はなさそうであったけれど。
ハミンもいろいろな人に話しかけ、僕の会社のみんなからも評判は良いようだ。さすが、だ。