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ハミンと僕の3年間の記憶

韓国人の彼女ハミンと、僕との間の3年間に渡る恋の物語です。 内容は全て実話です。 ハミンとの出会いから、僕の交通事故、ハミンがイギリスへと旅立ち離れ離れになった1年間、そして韓国で別れをするまでの僕の恋を描いています。

(17/17) 別れ

次の日の朝、ハミンから連絡があった。
この時間ハミンは授業を受けているはずなのに、なんだろう。
聞けば、その日は学校をサボってしまったとのこと。もちろん両親に内緒でだ。
ということで、彼女に誘われるまま新世界というデパートの中にある健康ランドのようなところに行くことになった。
デパートのなかで待ち合わせをし、帽子を深くかぶったハミンがやってきた。

授業をさぼったことを2人で笑いながら話す。僕も会社を休んで来ているのだから、まぁお互い様のようなものだ。
なんだか高校生の恋愛に戻った気分だった。お互い授業を抜け出して、デートに来ちゃったような、そんな感覚だった。

お風呂に入ってからは、2人で休憩。
こうして一緒にいるとなんだかまた苦しくなってきた。一緒にいたくないのではない。こうした関係が続いていくのかわからない怖さを感じるからだ。
お互い悲しくなってきたこともあり、段々とハミンも僕もお互い泣きながら話をする。
僕はできることならハミンとずっと一緒にいたい。
ハミンもそれは同じ気持ちのようでもあった。ただ、ハミンは自分でもやりたいとことがある。特に海外への挑戦ということ。
今も勉強をし、再度留学に向けての準備をしている。明るい未来を見ながらも、ハミンにも不安はあるようだ。
そして、素直に気持ちを表してくれた。
「自分が将来どこにいるのかもわからない。そしていつ勉強が終わるのかもわからない。だから、翔太は私を待たないでほしい。自分の未来に向かって生きてほしい。」と。
僕はハミンを苦しませるのはしたくなかった。ハミンの気持ちも理解をしたかった。
だけど僕にはハミンのいない人生はなかなか考えられなかった。僕の方が弱い人間なのだろう。
お互い泣くだけ泣いたらすっきりしたのか、その後は2人とも笑いながら話ができるようになってきた。
そうしていると、ハミンは夕方1件予定があるようだった。親戚のおばちゃんにイラストレーターの使い方を週1回教えているそう。ということで一度お別れをし、終わったら合流し、夜ご飯を一緒に食べることにした。

僕は、明日は日本に戻る日だ。
久しぶりにハミンに会ったものの、今日が最後の夜だ。僕はハミンがいないこのタイミングで手紙を書いた。
声に出して伝えられない僕の本当の気持ちを、この手紙に正直に書き綴った。


夜になるとまたハミンと待ち合わせをした。
日本にいたときには、僕は待ち合わせのときによくハミンにびっくりさせられた。急に現れて、「わ!」と言ってびっくりさせてくるハミン。
今回は僕の番だ。

待ち合わせ場所に早めに到着した僕は、柱の影でハミンが来るのを待っていた。
到着した彼女は僕を探しているようだ。僕はそろりそろりと彼女の背中側から回り込んで声をかけてびっくりさせようとした。すると彼女は振り返り、早くも見つかってしまった。ハミンには大笑いされ、結局失敗に終わった。

暖かい日でもあったので、結局、食材を買い込んで外で食べようということになった。2人で食材を買い込んで、外で歩きながら食べた。
ハミンは僕を連れていきたいところがあるということで、タクシーに乗って海の近くまで行った。
そこから2人は歩きながら話をし、綺麗なビーチまでたどり着いた。
ビーチの目の前には、東京でいえばベイブリッジのようなライトアップされた大きい橋があり、そこを2人で歩きながら話をした。
明日は日本に戻る日で、ハミンも明日は朝から学校がある。ということで、今回の滞在では最後の時間になりそうだった。
そういう気持ちもあり、なんだか少し重たい気分の僕でもあった。

ハミンはビーチに座って海をみたいと言い、僕らは冬のビーチで2人腰を掛けた。
ハミンはイタリアやイギリスにいる間に、なぜあまり連絡をしなかったのか、どういう気持ちであったのか正直に僕に打ち明けてくれた。
実は、すごく悲しかったらしい。僕のことを思い出すと悲しくなってしまうからこそ、自分で自分を苦しませないように、連絡をしないようにしていたとのことだった。
イギリスにいても、その想いは変わることはなかったようで、寂しくなることも多かったようだ。

僕は、ハミンがどう僕のことを思ってくれているのかという気持ちがわからずにいたこともあり、そうした告白は意外でもあった。嬉しいような、だけれどそうした気持ちをハミンにさせてしまい申し訳ない気持ちだった。
そして、ハミンは言った。
今日で2人の関係をもう終わりにしたいと。

寂しかった。時が止まったようだった。
こうしたことを予期していなかったわけではない。ただ、彼女の口からそうした言葉を聞きたくないと思っていたからこそ、これまでイタリアに行けなかったのだ。
いつかは聞くことになるのだろうとは薄々想いながらも、自分のなかで都合の悪いことは考えないようにしていた。
僕もハミンに自分の気持ちを伝える番だった。
僕は数時間前に書いた手紙を取り出して、読み上げた。

 

---
ハミンへ

昨日と今日一緒にいてくれて、ありがとう。
無理やり釜山に来てしまったけど、1年振りにハミンに会えて、一緒にいられて本当に嬉しかった。
これまでとは少し違う複雑な感情ではあったけど、昔と変わらずに楽しい時間を過ごせたよ。

ハミンも1年前と変わらず、きれいで、笑顔も可愛いままだった。
同時に、また少し大人になったね。
海外に出て、いろいろチャレンジして、たくさん経験を増やしたからかな。

この1年間ハミンと離れたのは、もしかすると必要な時間だったのかもしれない。
1年間という中で、神様がおれのことを試していたのかもしれない。
おれはいま確信をもって言える。
やっぱりハミンが大好きで、1番大切な人なんだっていうことを。
一生大切にしたいし、ずっと一緒にいたい。
おじいちゃん、おばあちゃんになっても一緒にいたい。

なんでおれはこんなにハミンが好きなんだろう。好きでたまらないんだろう。
もうこれは変えられないことで、おれの中では運命なんだと思う。

おれはハミンには夢を追ってもらいたいし、満足いく人生にしてもらいたい。
だけど、ハミンにとって1番輝ける場所はどこだろう?
あんまり力を入れずに、周りの期待に応える必要もない。
ハミンには、もう一度だけ日本に戻ってきてもらいたい。
もう一度だけ日本で才能を生かしてほしい。
2月の試験が終わったら、日本でがんばってみないかな。
いろんな経験をハミンと一緒にしていきたいと思ってる。
ハミンの友達も、きっとみんな会えることを待ってるはずだよ。
そして、おれが誰よりも世界で1番ハミンのことを思ってるから。

おれは日本に帰っても、また連絡するからね。
ハミンの声を聞いていたいし、繋がっていたい。

翔太

---


ハミンへの僕の愛のメッセージだ。
将来も、心から一緒にいたいと思っている。そして、この1年間離れ離れになったのは、自分にとって必要な時間だったとも思っている。
その期間があったからこそ、僕はハミンを心から愛してると言える。

ハミンは泣いていた。
ただ、ハミンが声を振り絞って言ったのは、僕が次に釜山に来てももう会えないということだった。

釜山の海を目の前に、この瞬間に僕の恋は終わった。


ハミンは駅まで僕を送ってくれるという。
1年前は僕がハミンを空港まで見送りにいったから、今度はハミンの番ということだった。
実はこの2日間、僕らは手も繋いでいなかった。ハミンに断られてしまったからだ。
だが、このときの駅まで歩いていく10分間は2人で手を繋いで、一緒に歩いた。
思い切り泣いてすっきりしたのか、このときの2人はともに笑顔だった。
この2日間ハミンと一緒にいたけれど、何か少し暗さがあった。笑ってはいるけれども暗い雰囲気。
だけれど、駅までのこの10分間は普段の底抜けに明るいハミンだった。
僕らは冗談を言い合いながら、思い切り笑って、昔と同じ時間を過ごした。

駅まできてくれたハミン。
これが、本当に最後のお別れだ。

2人は抱き合い、最後にお別れのキスをした。
改札を通る前に、もう一度抱き合い、本当に最後のキスをした。
2人とも笑顔で手を振って、そして僕は階段を降りていった。

ありがとうハミン。
これでお別れだ。

電車に乗りながら苦しい想いに包まれながらも、僕はハミンへの感謝の気持ちで一杯だった。これまでありがとうという気持ちだ。

そして、その日はほとんど眠れずに次の日の朝を迎えた。
僕はリムジンバスに乗り、ひとり空港まで向かった。
もしかしたらハミンも空港に来てくれているのかもしれないという淡い期待があったが、それは叶えられなかった。

 


あれからおよそ1ヶ月。今日は12月31日。
2016年も終わりに近づくなかか、僕はこれまでの3年間のハミンとの日々をいまこうして書き綴っている。
僕にとって終わった恋だ。

だけど、忘れられない大切な人との記憶。
そして僕の中では忘れてはいけないと思っている。
正直に考えると、この記憶は僕をまだまだ苦しめるんだと思う。だけど、それでいい。
人生の大切な1ページをしっかりと心に留めておきたいから。

 

ハミンとの3年間の話はここで終わりだ。
もし、またこの続きを書くことができたら、そのときはどう続いていくのだろう。
これは誰にもわからない。いつかまた続きを書ける日がくることを僕は願っている。

(16/17) 韓国へ

そして土曜日。釜山への出発の日がきた。
このときまでもまだハミンからは会えるという言葉を聞いていない。会える保証もないまま釜山へ向かった。
昼過ぎの到着であることは伝えていたので、もしかしたら空港にハミンが迎えにきてくれているかもしれないという淡い期待も抱いていた自分もいたが、やはり来てはいないようだ。
僕はそのままリムジンバスに乗り込んで釜山の街へ。
僕が釜山に来るのは今回がはじめてではない。10年程前に来たことがあり、今回は2回目だ。
当時は大学生で、友人と一緒に中国をバックパック旅行をした後に来た。そのときの旅とは今回は全く違うものだった。
そのままホテルへチェックインし、ハミンに釜山に到着したことの連絡を入れる。
しばらく経ってから返事があり、ハミンは本当に来たことに驚いたようであった。
が、その後ハミンから連絡は返ってこなくなり、僕は1人で釜山の街をぶらつくことになった。
途中見つけた居酒屋でなんだかよくわからず料理を注文すると、出てきたのは生きたタコの刺し身、それとグロテクスなヌタウナギの炒め物。
少し油断しすぎたのかもしれない。僕は今そんなチャレンジを求めていない。
韓国らしいものを食べよう、とかいう観光客ではないのだ。僕は会えるかどうかもわからない1年ぶりの彼女に会いに来ているのだ。もう少し穏やかに過ごしたいというのが本音だ。
その日はホテルに戻って早めに眠ることにした。ハミンに会えないまま釜山の滞在が終わることも十分現実味が帯びてきた。

翌朝、僕は早く起きてホテル近くのヘウンデビーチをぶらぶらしていると、ハミンからメッセージが届いた。
内容は一言「今日会いましょうか?」
ついにこのときがきた。1年間待ち続けていたことがようやく叶うかもしれない期待に僕は胸を膨らませた。
僕はすぐにメッセージを返し、待ち合わせは今から1時間後、ヘウンデビーチとなった。僕のホテル近くまでハミンが来てくれるらしい。
僕は急いで準備をして外に出る。時間にはまだだいぶ早い。
僕には必要なものが1つあった。
それは彼女に手渡すバラである。
どこに花屋があるのかもわからずさまよっていると、高級ホテルがあった。もしかするとここにはあるかもしれないと思い、フロントに聞いてみることにした。そうすると、地下に花屋があるとのこと。
店が始まる前だそうだが、店長らしい方は特別に店を開けてくれた。1番きれいなバラを選んでもらい、ケースも合わせて日本円で計5000円。さすが高級ホテル。けっこういい値段する。
女性店長は、こんな朝早くからバラをどうするの?と聞いてくる。
僕は、1年間会っていなかった彼女とこの後に会うこと。この1年ずっと僕は会いたいと思っていたことを伝える。
すると、「すごいロマンチックね。彼女も絶対喜ぶわよ!」なんて大はしゃぎ。結局、僕が支払ったのは1000円だけになった。店長が割引をしてくれたのだ。
最後には「Good Luck!」と言われ、なんだか照れくさい。

僕はハミンとの待ち合わせ場所のヘウンデビーチに向かった。
待ち合わせ時間よりもそれでもだいぶ早い。晴れた良い天気だ。雲ひとつなく、12月なのに暖かい日であった。
僕は全く落ち着かない気持ちだった。
ハミンに出会って一緒に過ごした2年間、そして会えなくなったこの1年間のことを思い出してしまう。
1年経ったハミンはどういう雰囲気なのだろうか。今はどういう気持ちなのだろうか。
会えることに嬉しい気持ちと、不安な気持ち。それが混じった不思議な感情だ。

ビーチに現れる人を僕は砂浜の方から見ることにした。
すると、遠くからこちらに向かってきている女性がいる。まだ遠くてはっきりわからないが、あの雰囲気はきっとハミンだ。
僕はゆっくりと向かっていく。
僕はあふれる涙が止まらなかった。会いたいとずっと願っていたハミンがすぐそこにいる。
「ハミン!」僕は叫んだ。
「翔太!」彼女も応えた。
1年ぶりの再会だ。僕は彼女をぎゅっと抱きしめた。言葉にならない。
ハミンも震える声で「久しぶりだね」と。

1年間会っていなかったハミンは大人の雰囲気が増したような気がした。
だけど、この声、この笑顔、僕が知っているハミンと変わらない。ようやく僕は会えたのだ。
僕は用意していたバラをハミンに手渡した。
ハミンは照れているようで受け取ってくれた。前回ハミンに渡したときには僕が照れていたが、今回は僕は堂々と、ハミンが照れくさい側だった。

その後2人はビーチを歩きながら、この1年間のこと、今の状況を少しずつ話し始めた。
イタリアの大学院入学には英語の試験が必要であり、そのために最初イタリアに着いてしばらくしてからはその後イギリスに移り、現地の語学学校に通っていた。ここまではハミンも当初の予定通りであった。
が、その後にハミンはイギリスでの語学留学を延長した。イタリアへの留学を断念し、イギリスでの時間を長くすることを選んだようだった。
そしてイギリスに半年ほどいた後に、つい10日ほど前に韓国に戻ってきた。
僕は彼女が傷つくことを恐れ、どういう気持ちだったのか、僕の方から聞くことはあえてしなかった。彼女が話すには良かったけれど、僕から聞くことは出来る限り抑えるようにした。

彼女と話をしながら、1年ぶりに一緒に食事をし、その後は海の見えるカフェに向かった。日本で一緒に過ごしていたときの過去の話など、お父さんお母さんと会ったときにみんな緊張していたよね、ということなど他愛もない話で盛り上がった。
昔のハミンと変わらなかった。
僕もこの1年のことを話し、少し韓国語を話せるようになったことなどハミンも驚いたようだった。
話をしながらも、僕は彼女がこれからをどう考えているのかが気になっていた。これまでのメッセージのやりとりではそこまで詳しく聞くことはなかったからだ。すると彼女は言った。この先、もう1度留学をしたいと思っていることを。
今度はイタリアではなく、イギリスの大学院に入るために、今も勉強を続けていると。そのために、今彼女は釜山で英語の学校に通い、翌年の夏頃にイギリスに行けるように準備をしているそうだ。

僕は彼女を否定することのないよう、努めて冷静に話を聞いていた。
ただ、心のなかでは、ものすごく寂しかった。こうしてやっと会うことができて、願わくば日本へ戻ってきてほしいとも思っていた。そうした期待が僕にはあった。ただ、彼女はそういう気持ちは一切ないようだった。
日本でのことは過去のこととして切り離し、次の環境を考えていた。

ハミンは、その日の夕方は家族との用事があるようで、その日は一旦ここでお別れとなった。
駅まで向かう途中、翌日はハミンの学校が終わる夕方4時頃にもう一度会うことでお互い約束した。
そして僕はその後、ハミンのお母さんが経営するカフェに行くことにもした。ハミンにはお父さんお母さんに会わないように注意してね、なんてことを言われた。
僕は挨拶くらいしたいという気持ちなのだが、彼氏が日本から来ていることを決して良いとは思わないそうだ。
ということで、会わないように最大限用心することを約束に、駅でハミンと一旦お別れをしたあとで僕はそのカフェに向かった。
カフェにつくと、ハミンに言われた通り、両親に見つからぬよう僕はまわりをキョロキョロしていた。
このお店は本格的にコーヒーを挽いてくれるところのようで、オーダーから出来上がりに時間がかかる。出来上がるのを待つ僕は、気が気でない。
階段から男の人が降りてくるたびに、お父さんではないことを確認し、ホッとする。

コーヒーを作ってくれた店員さんも少し英語が話せるようで、店のことを少し聞いてみる。丁寧に説明をしてくれ、そのまま店内の案内までしてくれた。
聞けば、来年には東京でお菓子の学校に通おうとしているそうだ。だから今はこのお店でコーヒーとお菓子の勉強をして、東京への留学準備真っ最中ということらしい。
逆に僕もなぜ1人で来ているのかも質問された。
ハミンにあれだけ両親に会わないように気をつけてとい言われているのだから、話をする僕も慎重だ。なにせ、この店員さんからオーナーに話が伝わるとも限らないのだ。
「彼女と夜会う予定になっていて、少しだけここで時間を過ごすことにしたんだ」という風に僕は伝えた。
屋上テラスは釜山の高層ビル群を見渡せる抜群のスポットだった。そんなロマンチックな雰囲気に僕はひとり。
すると、先ほどの店員さんがお皿いっぱいにジェラートを持ってやってきた。
僕に手渡してくれて、親切にも「次は彼女と来てね」なんて言われてしまった。
あ・・・、伝えられないことだけど、僕の彼女がこのお店のオーナーの娘なんだ。絶対に言えないことなので、感謝だけ伝えて、僕も東京に来るときに困ったら連絡してね、なんて話をした。

その日の夜は釜山の街をランニングしてみることにした。
ハミンと会えたことで僕も気持ちが少し軽くなった。
僕はハミンを心配していたが、1年前と変わらずにハミンはハミンのままだった。
再度イギリスへの留学の話は聞いたが、ただそれも来年の8月。ずっと先のことだ。
ハミンがもう1度海外に行くまでにはだいぶ時間があることから、少し安心した気持ちにもなった。
僕が自分の気持ちを伝え続ければ、もしかしたらイギリスではなく、日本にもう1度戻ってきてくれるかもしれない。そんな気持ちが少し僕にはあった。
これからは1ヶ月に1度でも会いにくれば大丈夫だ、なんていうことも考えていた。釜山まで2時間半のフライトでこれるのだから、週末きたって問題はなさそうだ。
そんなことを考えると、これまでの重さから少し開放されたようだった。

(15/17) 急展開

月日は流れ、ある11月の終わりに僕は仕事を通じてお世話になっている旅館の女将と飲みに行った。
僕にとっては、母のようであり、親しい友人であるような方だ。
以前からハミンのことに関しては話をしたことがあるので、その女将も僕の状況を理解している。
少し酔った席でもあったので、僕はハミンが今でも好きなこと。だけど、イタリアに行くまでの勇気がでないことも明かした。なぜなら、イタリアに行ってハミンに会えたとしても、その先関係が続くのかわからないのが怖かったから。
もう1年近く会っていないけど、お互い好きだという気持ちがでても、それから先もずっと離れ離れだ。また別れるそんな苦しさは耐えられないと思った。
そして、同時に別れることになってしまうということも十分に考えられた。ハミンから連絡が返ってきていないこともあり、それはありえるものだった。
だから僕は、会いに行く勇気は出ないことを話していると、その女将は僕の話を聞いた後に、「何言ってんの。そんなに好きならイタリアに行ってきなさい。でないとこの先もずっと無駄に考え続けるわよ。」と。イタリアに行きなさい、行きなさいとお酒を一緒に飲んでいる間中、僕はずっと言われ続けた。
僕はそこまで言ってもらって吹っ切れた。
次の日、ハミンにはイタリアに行くと連絡をした。

数日経っても返事はなかった。返事がないと言っても、いつものことだ。
日曜日の夜、僕がベッドに入って寝ようとしていると、ハミンからメッセージが返ってきた。
最後にハミンから連絡があったのは、もう半年以上前であるから、こうしてメッセージが返ってくることは本当に久しぶりだった。
僕はそれだけでも嬉しかった。

メッセージを読むと、実はちょうど数日前にはハミンは韓国に帰ってきたということだった。
イタリアへの留学を諦め、韓国に戻り、今は家族と一緒に過ごしているという内容だった。
ハミンが韓国に戻ってきているということは、僕は全く考えていなかったことだった。お互い離れてからもうすぐ1年が経つところであったが、ただあともう2年間待たなければいけないことを思うと僕は本当に苦しかった。
これまで連絡がとれていなかったこともあり、僕はハミンがイタリアで楽しくやっているものだと思っていた。
ハミンには思うところがいろいろあるようだけれど、僕はそうしたことがわかっただけでも嬉しかった。
夜中までハミンと連絡をしていると、どんどん目に涙が溢れてくる。
そして、ハミンは留学する予定であったのに帰ってきたことから、自信をなくしていることも伝わってきた。
そして、僕に連絡をする勇気がなかったそうだ。同時に、日本にいる友だちにも連絡をしていないらしい。
親のサポートがあって海外に住んでいたこと、留学がうまくいかなくて帰ってきたこと、仕事をしている友達と比較すると自分自身が小さくみえてしまうことのようだ。
ハミンにも苦しさがあっての判断だった。
僕はそうした中で今ハミンが本当にどういう状況なのか、どういう気持ちなのかわからない。メッセージの文面からではハミンの感情がわからなかった。

僕はその数日後には釜山に行くことにした。
釜山に行ってハミンに会いたいと思っている。
ただそのことを本人に伝えると、釜山まできても僕には会えないということであった。今会う勇気がないということで断られてしまった。
僕はひと目だけでもハミンに会いたい、声が聞きたい、どういう気持ちでいるのか知りたい。そういう思いであり、同時に心配でもあった。
ハミンに断られても、僕は釜山に行くことにした。

それからの数日。1年前と同じように僕は抜け殻になった。
仕事をしていても全く身に入らない。
大切な人のことを思うと、僕は何も考えられなくなってしまうようだ。それは僕だけではないはずだ。人はみなそうなんだと思う。

それからの数日、ハミンとの連絡が途絶えぬよう、その後も連絡を続ける。
が、やはり僕には会えないということだった。だけど僕は飛行機のチケットも購入し、土曜日から火曜日まで釜山に行くことにした。

(14/17) その後の僕

その後の数日、僕は抜け殻のようだった。
仕事でも無理して笑ってみせるけれど、心の中は空っぽだった。
僕に残ったのは虚無感で、不思議にも”苦しさ”というものはなかった。
これまでの数ヶ月間、ハミン出発の日に近づくことを思うと苦しかった。どんなに楽しく一緒に過ごしてもあと数ヶ月、あと数日で一緒にはいられなくなってしまう苦しみがあった。

ただ一方、僕は3年も待てるのだろうか。どんなに数えてもまだ数日しか経っていない。あとどれだけ待てばよいのか。
ハミンが韓国に帰ってからも連絡は続けていた。久しぶりに家族と一緒に過ごしてハミンは安心した部分もあるようだった。
しばらくは韓国の家に住んで、語学の勉強をして留学準備にあてるらしい。
ただ日が経つごとに、だんだんとハミンから連絡が返ってくるまでの間隔が長くなってきた。
一度連絡をしたときには、ハミンからは運転の練習も始めたということも聞いていた。僕も運転気をつけてね、くらいしか言っていなかったが、ハミンが元気に過ごしているのなら僕はそれで良かった。

その後、しばらく返事がない日が続いた。
連絡をしてみても返事がないのだ。
僕はなんだか嫌な予感がしてきた。日本にいるハミンの友達に何か知っていることがないか聞いてみても、彼女らもハミンからしばらく連絡が返ってこないとのこと。
直接連絡する手段がないので、僕はハミンのお母さんがオーナーをしているカフェに電話をかけてみることにした。お母さんに電話を代わってもらえれば何かがわかるかもしれない。
カフェの名前はわかるので、ネットで電話番号を見つけてかけてみることにした。電話が繋がり僕が英語を話すと、電話越しの相手は動揺したようで少し間を置いて、奥で誰かと話をしている。すると、電話を切られてしまった。
もう一度電話をかけてみる。僕が英語を話した瞬間に電話を切られる。次の電話ではもう相手はとらない。僕の番号が拒否されてしまった。
連絡できる手段がなくなってきてしまった。僕は心配でたまらなかった。
もしかしたらハミンは事故にあってしまったのかもしれない。ハミンが運転していると言ったときに、注意するようにもっと伝えておけばよかったのだと後悔もした。

そうしていると、数日経ってハミンから何事もなかったようにメッセージが返ってきた。僕はハミンの身に何事もなく、元気にいることに安心した。
違う国にいるときに、メッセージ一本返ってこないだけでこれだけ心配になるなんて。
そんな僕に、ハミンはもう心配なんてしないでと言った。心配しすぎだそうだ。
僕はハミンの身に何かおきていないか不安だった。ただその状態が知りたかっただけだ。
なぜ、心配する僕が悪いと言われないといけないんだろう。
僕ははじめてハミンに怒った。愛しているからこそ心配する気持ちがなぜ伝わらないんだろう。
なんだか距離が徐々に離れていることを感じ、寂しさが残っていく。
その後もハミンからの連絡は返ってこないことのほうが多くなっていった。

その間、僕はハミンのことを大切に思いながらも、思い出させないくらいまで忙しくしようと思った。
ハミンに次にきちんと会えるのは3年後。僕はそのときまでには立派な男になっていたかった。
そして、僕はこれまで以上に仕事に精を出した。仕事だけを考えるようになった僕は、会社での仕事も順調に進み、責任も増え、自分のチームをもつようになっていった。
そして、会社での仕事以外にも個人としていただく仕事も増え、製造業の企業の海外進出をサポートしたり、企業の顧問として携わることも増えてきた。
立ち止まるとハミンのことを思い出して、弱い自分になってしまいそうな怖さから、僕は精一杯前を向いて、無理やり自分自身を忙しくしてみた。
仕事以外でも、男らしい人が好みのハミンに合わせるように、ジムに通って身体を鍛え始めた。
韓国語のレッスンにも通って勉強を開始してみた。いつか会うときにはハミンを驚かせたいと思ったからだ。毎週金曜日の夜はレッスンの日となった。

ハミンからはイタリアに着いてから一度連絡をもらった。新しい環境で戸惑いながらも楽しんでいるようだった。
ただその後、ハミンから連絡があることはほとんどなかった。
僕は継続して、ときおりハミンには連絡をしていたけれど、あまり連絡が返ってくることもなかった。
ハミンが日本を出発する前に僕に言っていた言葉を、僕はずっと覚えていたからだ。
「私は連絡をしないと思うし、返事が返ってこなくても、翔太は連絡はしてね。」
なんと一方的なことを言うんだと思っていたけれど、僕はそのときの言葉を忠実に守り、ときおり連絡をし続けた。彼女から連絡が返ってこなくても、だ。
友人からは、彼女に翻弄されているように思われ、早く次の彼女を見つけたほうがいいと何度も言われたが、僕はそういう気持ちにはなれなかった。
ここまで一途に1人の女性のことを思うなんて、僕は生まれてはじめてだ。

(13/17) 別れの日

遂に、最後の日になった。
朝目覚めると、それまでの晴れ晴れとした気持ちとは違って、悲しさの方が遥かに強かった。
ハミンも今にも泣いてしまいそうだった。
出発に向けて最後の準備を整えると、ハミンを呼んだ。そして僕は1枚の手紙を読み上げた。
ハミンに対する僕の気持ちを全て書き綴ったものだ。

 

---

ハミンへ

はじめて出会った日から、もう2年も経つんだね。
初めて会ったのが最近のように感じるし、時が経つのは本当にはやい。
ハミンのおかげで毎日が本当に楽しくて、幸せな時間を過ごすことが出来たこと、すごく感謝しています。
2年前、ハミンに出会えて良かった。

はじめて会った日。はじめて2人だけで食事に行った日。東京タワーではまさか同じ曲を選んだり、深夜の原宿駅で偶然会ったり、雪の新宿で遊んだりした日、最初の頃のことも、いまでも全部覚えてる。
この2年間、楽しい時間を一緒にいつも2人で笑って過ごしてたね。

いつもニコニコ楽しそうにしているハミンと過ごす時間が本当に幸せだった。
いろんな冗談をいって、同じものに喜んで、感動して、だけどときには少し意地悪してみたり、いつもお互いのことを想い合って過ごしたね。

そんななかでも、俺が事故を起こして元気をなくしたときも、救ってくれたのはハミンだった。
本気で心配してくれて、だけどそうして心配してる様子は顔には出さずに、いつものように笑って一緒にいてくれた。
ハミンの笑顔にどれだけ勇気づけられたことか。
俺はあの時に決めた。もう絶対にハミンを悲しませることはしないと。

これからハミンと一緒にいられなくなってしまうこと、正直に言うと、すごく寂しいです。
これまでずっと近くにいたハミンと会えなくなってしまうのは苦しくて、本当はずっとそばにいてほしい。

だけど、これは大事なこと。
ハミンが決めた挑戦。俺はハミンには絶対に後悔をしてほしくないし、夢を叶えてほしい。
何より、幸せな人生にしてもらいたい。
もっともっと大きなフィールドへ羽ばたいてほしい。
だから俺はハミンの新たな挑戦を、心の底から全力で応援します。

3年は長い。
けれど、この間に2人ともいろんな経験をして、いろんな人に出会い、きっと大きく成長していることだと思う。
改めて3年後に出会って、お互いの気持ちがつながっているのであれば、それから先はずっと一緒にいれるように、そのときは結婚したい。

3年という期間はきっと想像以上に長くて、長くて、100%ということは確信できない。
だけど、そうした2人の想いがつながっていたら幸せ。だって3年後でも31歳と30歳、それでもまだまだ若い2人だから。


いままさに、新しい一歩を踏み出したハミン。
きっと、これからたくさんの出会いがあって、楽しいこと、そしてつらいこともあるんだと思う。
ハミンはきっとニコニコしながら、たくさんの友達をつくって、楽しい時間を過ごしていくんだろうな。

がんばってね。
そして、いってらっしゃい。

---

 

僕は泣きながら読み上げた。
ハミンも泣きながら聞いていた。これが僕のハミンへの気持ちだ。
もし3年後、お互いが変わらぬ気持ちでいられるなら、その時は結婚していたいと僕は思っていた。これまで結婚ということを意識することは1度もなかった。僕が結婚を考える日はずっと先だと思っていた。
だけど、ハミンに対しては心の底から思う。ずっと一緒にいたいたった1人の女性だと思った。
この3年でお互いがどうなるかはわからない。
ただ、3年後に会ってそのときに気持ちが同じであったら、もうそれは運命だ。

何かでずっとつながっていられるように、ハミンには僕とおそろいの赤い革のペンケースを渡した。それがこれから旅立つハミンへのプレゼントだ。
そして、一緒に電車に乗り、成田空港へ。

成田空港に着くと僕らは最後の時間を惜しむように、飛行機を見に行ったり一緒にいられる最後の時間を惜しんだ。僕はハミンとの別れを思うと辛かった。
僕ら2人は出発ロビーへと戻ってきて、残り限られたわずかな時間を一緒に過ごした。
ハミンの飛行機は昼過ぎだが、その日の夕方にはコンサートがあるらしい。ロビーにはちょうどリハーサルを終えた演奏者の方々がいた。
もしまだリハーサルをやっているのなら、お別れの演奏として2人で聞けたらと思い、僕は演奏者の方々に声をかけた。
まだリハーサルをする予定があるのかを聞いてみるも、もうリハーサルの予定はないとのことだった。
演奏者の1人の男性は、僕になぜそういうことを聞いてくるのかと逆に質問をしてきてくれた。
僕は素直に、今が彼女と最後の時間であることを伝え、あと少ししたらお別れをしなければいけないことを伝えた。
そうすると、その男性は仲間の方々に声をかけて、僕らのために演奏会を開いてくれると言ってくれたのだ。
僕らは彼らに呼ばれるままに、1番近くの席に2人で座らせてもらった。僕らのためだけの演奏会。
最後の最後に神様が僕らに大きなプレゼントをくれた。演奏をしてくれた方々には感謝が尽きない。
僕ら2人は泣きながら演奏を聞いた。もう2人とも涙を止めることは一切できなかった。演奏している方々も僕らの状況を見て涙しながらの演奏だった。
僕にとって、人生で最も嬉しく、最も悲しい演奏だった。
この曲、時間は一生忘れることはないだろう。
演奏が終わると、遂に最後の時間が来てしまった。
出国ゲートまでハミンと一緒に行き、最後写真を1枚撮ってもらった。2人とも泣きすぎたせいか、目が真っ赤で、目の周りも腫れている。
僕ら2人は出国ゲートそばで抱き合い、最後のキスをした。
そしてハミンはゲートへと向かっていった。僕はハミンが見えなくなるまで見送った。

人との別れで、これほどの苦しさを味わうことはこれまで僕の人生で1度もなかった。
僕はハミンの飛行機が離陸するまで見送ることにした。
最後のお別れ、感謝をして、僕とハミンとの日本での時間は終わった。

(12/17) 最後の10日間

12月1日。ハミンは当初の予定通り、旅を終えて東京に戻ってきた。
お母さんは韓国に戻り、ハミンはあと10日間東京に滞在する予定だ。
ハミンはお母さんには、友達のところに泊まると嘘をつき、僕の部屋に泊まることになっている。

東京駅に到着するのは夜。仕事を終えた僕は大急ぎで職場のある新橋の花屋へ向かい、バラを5本買って東京駅へ。
花を買うのはなんだか恥ずかしく、僕はあまり得意ではない。誕生日でもバレンタインでもない理由がないまま買うのはちょっと照れくさいけれど、久しぶりに帰ってくるハミンに僕の気持ちは伝えたいと思っていた。

しばらくして新幹線の改札から出てきたハミン。
1ヶ月以上ぶりに会うハミンは、いつも以上に綺麗に見えた。お互い抱き合い、僕は照れながらバラの花束を渡した。
渡すといっても、やっぱり照れくさいので、ごまかしながらだった。ムードのかけらもない。ハミンもそんな照れている僕をからかいながらも、喜んでくれたようだ。

そこから数日間、僕とハミンは一緒に過ごすことになる。元々お互いの部屋をよく行き来してはいたが、短い期間ながらも一緒に生活するのははじめてだ。
こうして僕らは、最後の最後に同棲することになった。ただし期間限定。
僕らに残されているのは10日間のみだった。

僕はその10日間は出張をなくし、ハミンと一緒にいられる時間を増やした。
ハミンも夜は大学時代の友達に会ったり、最後の日本での時間をだいぶ忙しく過ごしていた。ハミンは計9年間日本にいたので、その分だけ友達との別れもつらいようだ。
毎日が送別会のような状態だったが、僕との時間も大切にしてくれた。
ハミンが旅に出たときと同じだが、僕はずっと一緒にいると悲しくなってしまう気持ちもあったので、ハミンがこうして送別会に出たり、友達と会うのは正直気持ちがすっとした。
そして、夜帰ってきてから寝るまでの時間を一緒に過ごす。それくらいが、出発までカウントダウンに入った僕ら2人にとってはちょうどよかった。

僕ら2人をつないでくれた、コウヘイとコウヘイの彼女の2人もハミンのために送別会を開いてくれた。
みんな仕事終わりに合流して、あれこれ語り合った。
そして2人からはなんとプレゼントまでもらってしまった。空けてみると、色違いペアルックのセーターが。
僕ら2人はペアルックを着たことがなかったので、このタイミングではじめてのものをもらった。これで日本とイタリア、離れていても一緒だ。こうした細かい心遣いができる2人には本当に感謝している。
僕らはペアルックのセーターをきて写真をパチリ。
そして、最後には4人で撮影も。
こうして4人で会うことはしばらくお預けとなる。これから先しばらくないだろう。
あとからコウヘイの彼女が言っていたことだが、このときはやはり僕ら2人からは何か寂しさが感じられたようだ。明るく笑っているようで、ただその心の裏側は何か暗いものがあったようだ。
これで2人とはしばらくのお別れをした。

12月9日。遂にハミン出発の前日となった。あと1日になってしまった。
僕は通常通り仕事に行く予定であったが、急遽午前中の仕事を休んでハミンと一緒に過ごすことにした。
こんな天気は滅多にないくらいの晴天の日だった。この日はいつもよりも暖かいこともあって、よく2人で出かけた丸の内の皇居前広場へ行くことにした。
途中、デパ地下でお昼ごはんも買い込んで、これまでのように2人で食事。
悲しい気持ちをずっと背負い込んでいた2人は、なんだか明るい日差しのなかで開放されたようだった。
最後の最後は暗く終わりたくないという気持ちもお互いあったのか、いつものように明るい2人になった。
悲しさよりも、なんだか晴れ晴れした気持ち。
この日はちょうど皇居が開放している日のようで、2人で中に入って散歩をしたいつものように冗談を言って、笑顔の2人。
東京駅前の大通りでは2人で写真を撮るなどして、最後のデートを楽しんだ。
ここで一旦お別れし、僕はそのまま会社へと行った。
そしてその日の仕事が終わり、ハミンとの最後の時間だ。
その時の僕らには悲しさはない。
それよりも最後まで楽しもうという気持ちだけだった。

2人でよく行った品川の海まで自転車を走らせる。2人とも最後の日は、いつものように過ごしたいと思っていた。
僕らはレインボーブリッジを眺めながら抱き合い、そしてキスをした。
こうして時間がもっと続いてくれればいいのに・・・。明日が出発の日だなんてまだ信じられなかった。